延長3.5qの目抜き通りを市民の踊りの輪が埋め尽くす「港かっぽれ総踊り」、港の夜空に約1万発の花火が華麗に咲き乱れる「海上花火大会」…毎年多くの市民が観て、参加して、楽しんでいる「清水みなと祭り」。終戦後の復興期に始まり、60回以上の歴史を重ねています。昭和51年以降は、市民総参加型の祭りとして、市民ボランティアによる実行委員会方式で開催されていますが、その中でも施設の全てを担当し、主力メンバーとして活躍しているのが、地元建設業界の有志たちです。
宇崎竜童氏の曲に合わせて踊る「港かっぽれ総踊り」。日本の伝統と海外のビートとの融合という斬新な組み合わせで、多くの市民に親しまれているこの踊りは、昭和61年当時、清水商工会議所の専務理事の発案で、当時の実行委員長と、おどり委員会委員長だった(有)不二見鉄工所の現代表取締役らが中心となって、「新たな挑戦をしたい」と考え、宇崎氏に作曲を依頼したことから生まれたものです。翌昭和62年に「港かっぽれ」を発表し、その後5年毎に「活惚レゲエ」・「かっぽれ倭武多」・「かっぽれエイサー」を次々に発表して全国に先駆けた斬新な踊りを創作しています。
また、祭りの期間中には陸・海・空自衛隊と海上保安庁の絶大なる協力により、一般公開・体験航海・展示飛行を通じて祭りが盛り上がり、市民との良き交流の場となっています。
祭りの裏方を務めるのも地元建設業界の有志(主に社長・専務・常務・部長等の役員を含む青年部が中心)であるボランティアたちの重要な役割です。
全ての施設の設営から解体、片付け、清掃はもとより、祭り期間中、夜を徹して作業し、道路交通・港湾荷役に支障をきたさないように万全の対策を施して、現状復帰に努めています。
業界先輩から代々引き継がれ、祭りに必要な多額の費用の寄付にも積極的に応じたりと、まさに「手作り・手弁当」精神で、市民みんなの祭りを支えています。